GETEMONTSから
スタジオに残っていた大量の残布を
道化師=アルルカン柄を象徴する菱形に構成し、
大量のアンティーク・ヴィンテージボタンとともに縫い付けた、
ポリエステル製フェルトのプルオーバーヴェストが到着↑
ジュンヤワタナベ、マルタン・マルジェラ、
アンダーカバー、archivio j.m.ribot を彷彿させる、Gらしい服飾の(Sub)Versionな1枚。
サイズ:
肩42cm 身幅55cm 着丈65cm
※水通し済み
粗野ながら、それが逆に魅力的な、
ねずみ色のフェルトヴェストをメディウムに仕様。
布を即興で組み合わせたアルルカン・チェックのパッチワーク。
視覚に不思議なリズムを与えマス。
脇と首元を彩るのわ、
種々多様で、国もバラバラな大小様々なボタン達。ホツれた様な糸ダレが生む退廃的な意匠。
背中の腹を抱えて笑う「道化師」わ『ダークナイト』のトランプから。
その上に刷られたGロゴわ、
ボタンや安全ピン、糸に飲み込まれています。
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実話コレ、
スタッズをボタンに転用した、鋲ジャンと同じ意匠で構成。
「quel che resta」とわ、
イタリア語で「残りのもの」の意で、
美学者にしてイタリアを代表する政治哲学者:ジョルジョ・アガンベン。
その思想から「↑」と着想がキタコレな1枚。
その思想わ、
各分野の専門家でも追いつくのが精一杯と云ふほどで、私も思い出した様に読んでわ寝てしまうんデスが←もうやめとけよ
彼の膨大な資料に基づく文献学の根底に
あのマルコム・マクラーレンが熱狂した
「状況主義」が通奏低音 流れていると思うと、
ヤメラレナイ、トマラナイ。
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クリスチャン・ボルタンスキーの新品のインスタレーションが、
アガンベンの「ホモ・サケル」と大型リサイクル・ショップと云ふ収容所を通したvisionとして「可視化」された私にわ、
「残りのもの」が気にかかる。
等しく、選ばれ(ず)、捨てられ(ず)、
焼却処分を免れ(ず)、残され(ず)、
今ある、残りのものが。
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アガンベンの思想わ、成程、初期パンクのレベルである。
人が自然だと思い込んでいる支配的な国家や体制や政治、法と、人が持つむき出しの生の「領域」に転覆を仕掛ける。
そこで蜂起し新しい物語を語るのわ、いつの世も「残りのもの」達である。