金井静山の御蔵島黄楊錦旗書盛上駒です。
金井静山の銘駒を一度手に取って見たくて鑑賞用で購入いたしました。
金井静山の錦旗書は迫力がある書体でありながら見ていて心が落ち着く穏やかな駒だと感じました。
静山の作品は、将棋駒に興味がある方であれば一度は手に入れてみたい希少な駒だと思います。
あくまで新品となりますのでご理解いただける方のみのご購入でお願い致します。
※他でも販売しているため先に売れてしまった場合にはご容赦ください。
(金井静山)
現在は駒の本場というと天童と誰でもが思うくらいに山形県天童市が有名である。しかし実際には、将棋家(大橋宗金)の駒作りが終焉を迎えてのちに、豊島龍山の出現を待って近代将棋駒が始まった。それも、東京の下町の一隅に、5人の名工(豊島龍山、奥野一香、木村文俊、宮松影水、金井静山)を輩出した。
そのなかで、80歳を超える高齢まで駒を作りつづけたのが静山(本名・金井秋男)である。
つまり、アマチュア出身の現代の駒師を除けば、静山こそ東京最後の駒師といってよいだろう。
 父親の骨董屋を手伝っていたとき、近くに住んでいた龍山のすすめで駒を作るようになる。
昭和15年に龍山親子が相次いで亡くなり龍山の駒作り工房は閉じられた。しかし残された駒木地はたくさんあるしお客からの注文もあったので、2代龍山の未亡人の依頼で静山は引き続き駒を作った。それらの駒は龍山の駒銘だったので、通称龍山静山の駒といわれ影の作者の駒として世に知られている。
また、影水が駒を作りはじめたときに協力したり、影水が亡くなったときも、未亡人に頼まれて彫りだけを手伝っていたこともある。 
 前述した事実から静山には影の作者というイメージがつきまとうが、晩年まで作りつづけたその駒への情熱やエネルギーは並大抵のものではない。最後には影の作者をすっかり払拭し、最後の名工とうたわれるのにふさわしい存在となっていた。盤駒店が駒木地を渡し静山に駒を依頼すると、2~3日してお客の都合で書体の変更を申し出ても、「すでに彫ちゃったよ」と言う返事が返ってくるくらい、彫りも仕事が早かったという。だが不思議なことに、制作途中の彫った駒は見たことはあるが、静山作の彫り駒は世の中には流布していない。それこそ、他の名工たちとの決定的な違いかもいれない。つまり盛り上げ駒しか作らない駒師が静山なのである。
 
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