墨絵で竹を描き、賛「葉々清風」が添えられています。これは「葉々起清風」から抄出された有名な文句です。箱は蓋表に『建仁益州老師筆 竹』蓋裏に『昭和庚戌冬 観翠庵(花押)』と三斎流観翠庵初代祥山にて極められています。*庚戌・・・昭和45年(1970)
軸先は福字染付となっております*写真⑨。全体に若干の巻きジワ・シミがございます。50年以上前の御染筆ですので、経年変化とお考え下さい。
極箱。陶器軸。紙本。
長さ124㎝ 幅45.3㎝(表装を含む)
『葉々清風』
【読み】
ようようせいふう
【意味】*葉々起清風より
虚堂智愚が友人の旅立ちを見送る際に作った詩の一節、「相送りて門に当たれば脩竹有り、君が為に葉々清風を起こす」(旅立ちにあたって、門の近くの竹からも餞別代りに涼しい風が吹き送られて来る)に拠る。自然と一体化して旧友との別れを惜しむ清々しい境地。
▢竹田益州(たけだえきじゅう)
明治29年(1896)~平成元年(1989)
臨済僧。益州宗進(えきじゅうそうしん) 室号は金剛窟(こんごうくつ)。大分県に生まれる。昭和19年大徳寺塔頭大仙院に住する。同20年建仁僧堂の師家となり、雲衲の教育に専念する。同29年建仁寺派7代管長に就任。平成元年、世寿九十三をもって示寂。
▢森山祥山(もりやましょうざん)
明治38年(1905)~不詳
三斎流観翠庵初代家元。名~久太郎。
*観翠庵森山祥山宗匠
明治に入り、三斎流の道統は寺を離れて在家に移り、川津村久保田梅屋翁、次いで木村宗七翁、渡辺宗世翁と受け継がれてきました。宗世翁は観月庵に住して流儀の普及に努められ、晩年は境港に移られたが、その最晩年の門弟が観翠庵森山祥山宗匠であります。
観翠庵森山祥山宗匠は、三斎流再興の熱情に燃え、大徳寺高桐院に数年の間止宿して都の茶風を研究し、その後出雲市に観翠庵を営み子弟の薫育にあたりました。観月庵十一世を継承したものの観月庵には入らず、一掌以来の三斎流の道統は出雲市に根をおろすことになりました。
三斎流九曜会ホームページより抜粋
【参考文献】
茶掛けの禅語辞典 淡交社
三斎流九曜会ホームページ
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